乙樽と若按司
沖縄は季節を問わず人気の観光地です。
近年では沖縄ツアーなども多く組まれ、老若男女たくさんの人々がこの島を訪れています。
そのなかでも人気があるのが今帰仁城跡。
わたしも行ったことがあります。
この史跡には絶世の美女とうたわれた志慶真乙樽の歌碑があります。
乙樽は王の側室となり、かわいい王子(若按司)を産みます。
しかしその若按司の祝宴のさなか、突如として起こる反乱軍の声に、若王を抱いて城を脱出しました。
若王の安全のために、泣く泣く別れることを決意する乙樽。
その後、若按司は8歳まで山田大主の家で育ちましたが、危険が迫ったので、領外の北谷村にのがれ、百姓家に下男として身をかくしました。
そして18歳になったとき、謝名大主以下の旧臣を率いて、ようやく本部大主を討ちとることができたのです。
ところで、その間、乙樽はどうしていたかについては、具体的な話は伝わっていません。
たぶん彼女は、どこに身をかくしてもすぐかぎつけられたにちがいなく、本部大主に凌辱されたと考えるのが自然でしょう。
そして民衆は、そのような不幸な屈辱の歳月については、多くを語りたがらなかったのかもしれません。
仇討が成功したあと、新王は乙樽を厚く遇し、神女の列に加えました。
当時は、今帰仁ノロ以下の神女たちが神に祈願し、神の声を聞くマツリゴトによって政治が行われていましたから、神女たちは神人といわれて、神として仰がれていたのでした。
神職は母系相続で、乙樽の生家である島袋一門からは、いまでも乙樽神と称する神女が出て、二人の脇神を伴って城内の祭祀に参加しているそうです。