難局に揺らぐ巨城
GMにおけるこうした保守的で独善的な締めつけは、ベトナム戦争後のアメリカにおける社会的風潮とは明らかに逆行するものでした。
財務マン主導体制は社会や政治や世界の動向に対する無関心、内部指向的社風の環境変化への不感症的気運を生み出さずにはいなかったからです。
しかし、他方ではラルフ・ネーダーのコーベアの安全に対する告発は、自動車の環境汚染や破壊に対する批判が強まるなかで、「キャンペーンGM」正式には「GMに責任をとらせるキャンペーン」ーといった広範な大衆の抗議行動にまで拡大しつつありました。
ことにベトナム戦争への不当なアメリカ軍の介入と敗北に対する国民的義憤は、ビッグ・ビジネスの社会的責任追及にはけ口を見出だそうとしていました。
ビッグ・ビジネス・ナンバーワンのGMが、いつ真っ先にその血祭りにあげられてもおかしくはない状況にありました。
しかし、GMの試練はそれだけにとどまらなかったのです。
1973年10月に中東戦争が勃発して、世界はたちまち石油危機(第一次)の暗雲におおわれてしまったからです。
とりわけデトロイトの衝撃は深刻でした。